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今、2008年6月。四川省地震に続き、岩手・宮城内陸地震が起きた。山が崩れるすさまじさだ。次は東京か小田原か東海か。僕たちは必死だが、耐震補強は簡単には進まない。内閣総理大臣賞をもらったとはいえ、平塚だってまだまだ全く足りない。間に合わないのだ。
地球環境崩壊も、心の崩壊も、対応が間に合わない。
・・・・・・・
12年前の1月17日の朝を、僕は今でも鮮明に覚えている。当時、僕は東京都職員研修所の調査研究室長をしていて、迫りくる東京直下地震への対応を検討していた。
早朝に平塚の自宅を出て、浜松町の職員研修所に向かった。研究室に入ると、スタッフがテレビを見ていた。
「木谷さん、地震です!」
「どこだ?」
「神戸です!」
心臓がばくばくした。
まさかこれが6434人が亡くなる大震災になろうとは、夢にも思わなかった。
僕は神戸の方々が、東京の僕たちの身代りになってくれたと感じた。
それから、地震のことを一日も忘れたことはない。
耐震補強(=被害軽減の切札)の推進は、僕のライフワークとなった。




なぜ、耐震補強なのか?
 阪神淡路大地震の死者の8割は、最初の14分間に亡くなっていた。死因の大半は、窒息死、圧死など、建物や家具につぶされて死んだ。どんなに避難訓練をしても、防災備蓄をしても、建物がつぶれたらおしまいなのである。
 耐震補強が被害軽減の切札であるという認識は、2002年12月の、NPO東京いのちのポータルサイト設立時に、多くの防災関係者に共有された。
 阪神淡路から12年、耐震の重要性に気が付いてから4年、僕たちは大地震への対応の準備ができたのだろうか?
 早稲田いのちのまちづくり、都民と創る産業振興ビジョン、それに広範な防災関係者が参加して、2002年8月に「東京いのちのポータルサイト」(任意団体)が設立された。代表は、早稲田商店会長の安井潤一郎さんである。
 当初は、各地域の防災の取組みをネット上で束ねる、ポータルサイトを構想していた。秋に、板橋区防災課長であった鍵屋一氏が「耐震補強が進んだら死んでもいい」と言い出し、彼の論文を読んで目から鱗が落ちた。防災は耐震補強が決め手だったのだ。

NPO東京いのちのポータルサイトの設立と耐震補強
 2002年12月に、東京いのちのポータルサイトをNPO化した。緊急提案として、耐震補強の推進が決議された。翌03年1月、時事通信の中川さんが、後に「衝撃の映像」と呼ばれる1分半のビデオを持ち込んできた。神戸の「人と防災未来センター」で上映されている7分の阪神淡路大地震の再現映像の短縮版である。
 2月に藤村望洋さんや寿乃田正人さんが中心となり、電通銀座ギャラリーで耐震補強の連続イベントを開催した。3月には、中野区の小田順子さんが中心となり、「CD説法師」と呼ばれるコンテンツがつくられた。
 こうして、東京をはじめ各地域で猛然たる耐震補強キャンペーンが展開されていく。時間との闘いが始まったのだ。

平塚の防災まちづくり
 2002年12月に、僕と篠原憲一さんが、花水小学校や浜岳中学校のPTAの方々に会い、防災に取り組みたいという意向を聞いた。
03年2月に「衝撃の映像」を平塚で初上映し、以後、怒涛のような防災まちづくり活動に火がつく。
 8月には、いくつかの団体が連携して「ひらつか防災まちづくりの会」が発足し、同会を中心に、一年で40回の防災講演、8回の防災まち歩きなどが実施される。花水小学校のPTAには、「防災フィーバー症候群」(防災にかかわっていないと不安になる)という言葉が生まれ、総合学習の夏休みの宿題は全員が防災がテーマとなった・

平塚での耐震補強の進展
2004年3月に、平塚市立野町の深田邸で、初めての耐震補強モデル工事を行った。工法は、福井義幸さん(地域住環境研究所長)が開発した独創的な「耐震後付ブレース工法」である。
百聞は一見にしかずで、たくさんの視察者が訪れ、平塚の耐震補強が進み始める。モデル工事の実施は、地域での耐震補強の重要なノウハウの一つである。

平塚耐震補強推進協議会
2005年2月、平塚の市民活動グループと耐震診断士、建築士、工務店などが連携して、「平塚耐震補強推進協議会」を設立した。供給の壁(誰を信用してよいかわからない)の突破である。
同会は、2005年度に27件、2006年度に37件の工事を施工し、地域に浸透していった。
05年3月には、平塚市が「耐震後付部レース工法」を市の助成制度の対象とし、3月19日には、中央公民館で400名を集めて緊急防災フォーラムを開催した。

NPO法人 平塚・暮らしと耐震協議会
2007年5月、協議会はNPO法人化し、名前も「平塚・暮らしと耐震協議会」と改めた。
僕の活動も、もっぱら協議会の活動として行っている。
詳しくは、以下を参照されたい。
■平塚・暮らしと耐震協議会 http://hira-taishin.jp/
■NIRAケーススタディ 「市民が主導する耐震補強」(平塚の事例)
■NPO法人東京いのちのポータルサイト http://www.tokyo-portal.info/

全国耐震まちづくりフォーラムの開催
 07年は事態が動いた。8月に、国交省から「平成20年度全国都市再生モデル調査」を受託し、その後の家具j固定活動や全国連携事業は、この調査の一環として行った。07年11月の「鞆・日本の心〜第三回全国耐震・まちづくりフォーラム」は特筆に値する。劇的としか言いようがない展開になり、今年度につながっている。次のサイトが詳しい。http://www.geocities.jp/tomofriendsnet/index.htm
内閣総理大臣賞の獲得(07年11月)
 NPO法人東京いのちのポータルサイトが中心となり、第一回日本耐震グランプリというコンテストが開催された。地震被害軽減の切り札である耐震補強を前に進めるためのイベントである。ここで、平塚・暮らしと耐震協議会が最優秀賞である内閣総理大臣賞を受賞した。第一回目であり、そうそうたる民間企業や地域がエントリーしていたので、嬉しかった。賞状はたくさんコピーされて、協議会のメンバーの家やお店に飾られている。「家族が喜んでくれた」との報告は一際嬉しかった。この賞状に負けないように頑張らなければ。
 
黒部丘西部自治会と連携し、無料の家具固定事業を実施(07年12月〜)
  07年12月、協議会事務所がある黒部丘西部自治会と連携して、無料の家具固定事業を始めた。東大生産技術研究所の目黒公郎教授は耐震補強の権威だが、家具固定についても豊富な研究成果がおありになる。そこで、目黒先生に特別講演会をお願いし、自治会の回覧で希望者を募った。結局13人に無料の家具固定を実施した。実施の経過と実際の作業風景、結果のデータなどは国交省への報告書にまとめてある。家具固定は奥が深く、難しいが、それだから面白さがあると協議会の技術者たちはいう。
 平成20年度にも、引き続き無料固定事業を行うことになった。


「平塚・暮らしと耐震協議会」の執行体制の整備(08年5月25日)
 NPOになって一年、最初の定期総会が開催された。05年2月の任意団体設立以来、協議会の理事長を務めて下さった大平延行さんは、本業が忙しいため、新設の顧問に就任され、代わりの理事長を僕が担当することになった。専務理事を福井義幸さん、常務理事を菅家芳助さんにお願いし、新事務局長(理事)の大石明広さんと僕で四役会議を構成する。専門部会はこれまでの5部会を9部会に拡充し、福祉部会長に出縄守英さん、広域連携部会長に寿乃田正人さんにお願いした。診断部会長に田中敦史さん、計画部会長に中里謙さんなど、若手が重要なポジションにつき、例会の議論が活発になった。

 「暮らしと耐震協議」定期総会 (09年5月30日)
 活動分野が平塚から全国に広がったことから、「平塚」の名前を名称からはずすことにした。
 大きな問題は、耐震補強件数が減少したこと(06年度37件、07年度27件、08年度17件)。地域とのつながりを強めるなど、できる限りの努力をしているが、件数が伸びない。今年度は、協議会が存続できるかどうか、ぎりぎりの場面になりそうだ。