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2001年7月、自宅から3分のところに宅老所「ひなたぼっこ」ができた。民家を改修したデイセンターだ。お盆休みに代表の大見さんからメールが来て、唄うことになった。
初めてのとき、僕はガチガチに緊張して歌詞を間違えたが、これで打ち解けてくれた方もいた。
月に二回、唄わせてもらうようになり、やがて他の施設も含め月に4、5回唄うようになった。
小さな空間でいっしょに唄うと楽しい。僕の人生が変わってしまったぐらいの感じがする。弾き語りは、僕の地域活動のベースになっている。
宅老所ひなたぼっこ
(平塚市桃浜町)
02年11月
僕と音楽
長姉がピアノの教師をしていたので、小学校低学年のときに手ほどきを受けたことがある。
東京に出て高校に入学したとき、姉がギターを買ってくれた。自己流でコードを覚え、どこに行くにもギターを抱えていくようになった。
仕事人間になってからはパタっとやめていたが、2001年から、ひなたぼっこで唄うようになった。その頃から、唄が「媒体」であると感じるようになった。互いの声に乗せて、無数のコミュニケーション、無数の共感をしている。だんだん、自分が本当に唄が好きなことに気がついた。
2005年4月に、シンセサイザー奏者の芳沢憲明さんに出会い、2006年4月に新宿文化センターでコンサートを開いた。人生、思いがけない展開をするものだ。
2007.4.14 心の唄〜希望へ
宅老所ひなたぼっこ(平塚市桃浜町)
僕の地域活動の原点
平塚の宅老所の第一号で、2001年7月に開設された。24時間365日営業で、通所者もワーカーも満足度が高い。大型施設で心を病んだワーカーが、ここではみるみるうちに良くなる。若い女性も働いている。同様の施設が平塚では6か所になり全国に拡がった。一度、見学にきてほしい。
ひなたぼっこで唄を唄うようになり、何もかもが変わった気がする。ワーカーには、「木谷さん、ずいぶん笑うようになったね」と言われる。「そうか、昔はそんなに難しい顔をしていたのか」と、あらためて自分の変化に驚く。
こゆるぎ(大磯町)
グループホーム
「こゆるぎ」は大磯城山公園の先にあるグループホームだ。2002年にNPO仲間の栗原さんにお誘いいただき、月に一度唄うようになった。こちらも5年になる。僕たちがお伺いするときは、午前中から皆さんがそわそわして待ち受けてくれると聞いて嬉しくなる。
いっしょに唄っていると、「ほんとうに楽しいね」という声が帰ってくる。唄いながら涙を流す人がいる。こちらも泣き笑いである。
うぃすたりあ(平塚市真土) ケア付き住宅・デイケアセンター
うぃすたりあは、平塚市真土にあるケア付き住宅でデイセンターも併設されている。ここも、栗原さんにご紹介いただき、こゆるぎと同じ頃から伺うようになった。唄いながら、いろいろなお話をする。それぞれの方々の顔や人生が、自分の親に重なってくる。お元気だった方が、ある日、顔を見せなくなることがある。会うは別れの始まりで、別れるのが嫌だったら会うこともできない理屈ではあるが、さびしいことに変わりはない。
こんな体験を通じて、僕自身の老いや死に徐々に向かい合うことができるような気がする。昔の僕だったら想像もできないことだ。
デイハウスTOMO(平塚市山下)
TOMOは湘南平のふもとの山下にある宅老所である。平塚で二番目にできた。ホームヘルプ事業を行ってきたNPOワーカーズコレクティブ笑顔が2002年に開設した。前理事長の笹尾さんはNPOみんなでつくる平塚の副理事長でもあり、僕に声をかけてくれた。ひなたぼっこよりもスペースに余裕があり、ゆったりとしている。
以前はウィークデイしか開いてなかったので、僕も、祭日に時折伺うしかできなかったが、これからは、もう少し伺えそうだ。
デイハウスなみき(秦野市)
福井義幸さんが
秦野に開設した宅老所がデイハウスなみきだ。2005年に初めておじゃましたが、さすが建築のプロがつくった施設だと感心した。
福井さ
ん(地域住環境改善センター所長)は耐震補強の立役者で、平塚・暮らしと耐震協議会副会長である。
大手ゼネコンの
現場監督時代に、東名高速でトラックに追突され、命は取り留めたが下半身が麻痺した。
それからが彼の本領発揮となったのだから、人生、面白い。
みきフレンド・あふり(秦野市)
宅老所
2006年12月に秦野で開催された第三回団塊サミット会場で、宅老所みきフレンドの小森谷さんと横溝さんに出会った。早速、翌07年1月に訪問し、4月に再訪した。
お年寄りを支えて、知的ハンデを持つ方も働いていた。
こうした地域施設の中で、健常者も障害者も役割を持つことができる。地域力を高め、社会力を高めるならば、もっともっといろいろな可能性が見えてくるのではないだろうか。
小森谷さんは、共生型グループホーム(高齢者と知的障害者を共にケアし、軽度の障害者が働ける施設)設立の夢を持っていた。
NPOの仲間たちと応援させてもらうことにした。自分にできることで、自分の役割を果たせればと思う。
ハーバー宮前(川崎市宮前区) 路上生活者の自立支援施設
「平塚パトロール」というグループの話を初めて聞いたのは2006年8月。市外からボランティアが来て、平塚市内のホームレスへの声掛けや行政との交渉をしているという。中心メンバーが川崎市宮前区にあるハーバー宮前とういホームレス自立支援施設のスタッフだった。
9月に初めてハーバーを訪れ、一緒に唄を唄い、囲碁の入門講座を開いた。ホームレスというが、特別な方々ではなく、僕と同じ空気を吸い、同じ時代に生きていた。
宅老所ほっとステーション(東京・新宿区)宅老所
ほっとステーションは宅老所のさきがけである。
1998年頃、早稲田のつながりで、代表の安福清子さんにお誘いいただき、何度かお邪魔した。その後、鐵庵というグループホームが中野にできた。設計は滋賀県立大学の柴田いづみ先生だ。2006年に、再び何度かお伺いするようになった。
普段はコミュニケーションが取りにくい方が、唄を唄うと状態が改善する。一時的ではあるにしても、嬉しいことだ。唄は不思議な力を持っている。
大沢にじの里(東京・三鷹市)
知的障害者の入所更生施設
2006年4月に新宿文化センターで初コンサートを開いた。学生時代の友人の石崎夫妻が来てくれた。アンケートに「今度、にじにも来てください」とあった。
にじの里は、知的障害を持つ方々の入所更生施設であり、二人の障害児を持つ石崎夫妻が、同じ思いの親や教職員たちと長い時間をかけて設立した。
5月にお邪魔し、みんなで唄を唄った。様々な条件の方々が互いに支えあい、なごやかな空間をつくっている。僕たちの世界とどちらが健常なのかと思った。
足立あかしあ園(東京・足立区)
身体障害者の通所授産施設
横内康行さんに初めて会ったのは1982年秋。彼は32歳で、大手IT企業をやめて東京コロニーに飛び込み、障害者にプログラミングを教えて始めた直後だった。5年前に足立あかしあ園という授産施設の園長さんになった。
2006年6月に初めて伺い、9月のおまつりにも参加して唄を唄った。いろいろな発見があった。地域の自治会やPTAの方々がボランティアとなり応援していた。あかしあ園をみんなで支援することによって、地域社会の連帯が回復できるのではないだろうか。
本年(2007年)6月に、再び訪ねた。重度の利用者が舌でギターを弾いてくれた。非言語のコミュニケーションというのだろうか。
進和学園(平塚市万田)
知的障害者の授産施設、グループホームなど
50年前(1958年)、出縄明先生が私財を投じて知的障害者の施設を万田に作った。今では八か所で400人の方々が利用し、200人の職員が働いている。平塚市民誇りの施設である。
防災担当の石黒さんが、ひらつか防災まちづくりのメンバーでもあり、これまでにも、何度か唄を唄わせてもらってきた。
出縄先生は私の両親の時代からのお付き合いであり、僕は不思議な御縁をいただいている。
2007年2月に囲碁入門講座を初めて開き、利用者やご家族など45人が参加してくれた。今後は
、小碁盤事業などで一段と深いつながりになりそうで、うれしくなっている。
2007.2.3 囲碁入門講座の後で
竹の塚あかしあの杜(東京・足立区)
松崎孝平さん(松崎建設)が2007年5月25日の、平塚・暮らしと耐震協議会総会に来てくれた。阪神淡路大震災以降、耐震補強を誠実に実施して来た、おそらく日本のトップだろう。足立区では、昨年一年間に92件の耐震補強がなされ、その3分の1が松崎さんの施工である。
足立あかしあ園の横内さんと松崎さんが核になれば、足立区の耐震補強は日本のトップになると思った。
で、横内さんに連絡を取ったら、「竹の塚あかしあの杜」の施設長に転勤されていた。早速に訪問し、唄を歌った。あかしあ園で出会った利用者がたくさんいて、懐かしい再会をした。
その夜、寿乃田さんも含めて4人で楽しく意見交換をした。
鞆の浦さくらホーム(広島県福山市鞆の浦)
07年8月に、僕は初めて鞆の浦を訪ねた。江戸時代、ここに上陸した朝鮮通信使が「日東第一景勝」と絶賛した、素晴らしい景観を持つ港町である。
仙酔島の窪みから上がる太陽を見たとき、「鞆・日本の心」という言葉が浮かび、11月にイベントを行うことを決めた。
10月に再訪し、最初に訪れたのが「さくらホーム」だった。施設長の羽田冨美江さんはあたたく迎えてくれて、皆さんといっしょに唄を歌った。
それから、とてもたくさんの出来事があり、鞆の浦は僕に取っても若い友人たちにとっても特別に大きな意味を持つ場所になってしまった。
翌年3月までの7か月間に、僕は5回も鞆の浦を訪問し、いつも最初にさくらホームを訪れる。次は、08年7月のお手火まつりだ。
まんまるの会(尾張一宮)
尾張一宮の金田政実さんは、「いのち大学」というセミナーを開催されている。本年(2009年)4月に講演で呼んでくださった。そのときに、障がいを持つ子どものお母さんたちが3人、来てくれた。あとから、多動性で大声を出す子どももいるので、連れてこれなかったと聞いた。5月に、津堅島の帰りに鹿児島の加世田と知念により、鞆の浦を経て尾張一宮に寄り、「まんまるの会」で唄を歌った。お母さんたちと一緒に、小さな子どもたちが静かに唄を聞き、歌ってくれた。少しして、たくさんのお手紙が届いた。9月の「心の唄’09」で皆さんにお見せをしたい。