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<毎日の走りの記録>
 
2006年5月のことだ。久しぶりに家に帰ってきた息子が、こう言った。
「親父は、東京マラソンに出るんだろう?


「なんで、お父さんが出るんだ?」
「だって、親父は東京都の職員だろう。東京都がやるのに、出なくても良いのか? 俺がサポートするから走ろうよ」
つい、その気になり、フルマラソンを走ることにした。スポーツには無縁であることは誰もが知っていたから、「木谷さん、それは無謀だ」「過激なことはしない方が良い」などと忠告してくれた。
でも、決めたからには、走るしかない。
・・・・・・・・・
 そして、2007年3月、初めてフルマラソンを走った。本年(09年)11月の湘南国際では4時間15分をめざす。
 顛末は以下をご覧ください。

最初は海岸までの1kmから 2006年5月21日 
 息子もまたスポーツは得意ではなかったが、ある時期から本格的に走り始め、すでに何度もフルマラソンを走っている。
 二つ、アドバイスをくれた。「まず呼吸法。すっすっ、はっはっは短距離で、すぐに心臓が駄目になる。長距離は、すっすっすっすっ、はっはっはっはっ」
 次が靴。「5千円以上の靴にしろ」
 このとおりにしたら走れた(笑)。
 最初に走ったのが5月21日で海岸までの往復2km、15分。翌々日には1時間、次の日は2時間16kmを走っている。

毎朝の走り
 自分が走れることにびっくりし、嬉しくなった。何事もやってみるものだ。
 呼吸法が大きかったと思う。呼吸と心臓がもてば、あとは足腰の筋肉が完全に疲労するまで走れる理屈なのだ。
 やがて、毎朝4時半に起きて8km走る習慣ができた。自宅から国道1号に出て大磯駅前まで走り、箱根駅伝コースに入って海岸道路を戻ってくる。
 さすがにきつかったので、5時起きで5km走る練習に変えた。春の朝は気持ちが良い。
 自然に早寝になり、
食事と酒が気になるようになった。日程表の中で、走りと共に、食と酒をチェックする。飲んだら×である。

江ノ島往復32km  2006年7月1日
 すぐに調子に乗るのが僕の悪い癖だ。
 日誌を見ると6月4日には、藤沢の鵠沼公園まで往復27kmを3時間余で走っている。
 これが、そう大変ではなかった。
 ついに7月1日には、江ノ島往復32kmを走ってしまった。
 往きは快調だったのだが、帰りに相模川を渡ったあたりから、膝から下がダウンして走れなくなった。
 足を引きずり、ほうほうの体で帰り着いたのだが、完璧に痛めた。
 7月に3回走った以外は、8月いっぱい休養になった。
 無謀以外の何物でもなかった。

9月から、また走り始めた。
 ようやく足の痛みが取れたので、9月からまた走り始めた。
 10月1日に、全国市民活動まつりの例会を平塚で開催した。
 その前段で、横浜火種の会の渡邉伸郎さんと、ハーフマラソンを走った。
 海岸道路を相模川まで走り、川沿いに北上し、銀河大橋で西に曲り、金目川まで走って川沿いに南下する。
 国道一号を大磯に向かい、いつものコースである。
 タイムは3時間ちょうど。
 これぐらいなら、そう難しくはない。

 12月から、酒を飲む回数を、月に5回と決めた。
 忘年会も新年会も、5回を超えたら飲まない。
 これが効いた。
 正月に、長男夫婦と次男が来て、ささやかにお正月をした。
 1月2日に、次男とハーフを走った。
 さあ、次はいよいよフルマラソンだ。
 本当に42kmを完走できるのだろうか? 
 自分でも半信半疑である。

東京マラソン(07年2月18日)
 2月18日は東京マラソンだった。
 昨年、エントリーしたのだが、見事に抽選で落ちた。
 友人たちもほとんどが落ちたから、どうやら初心者は落とされたらしい。
 息子は当選していた。
 鬼足の藤田俊英さんが中野サンプラザ発着の独自マラソンを企画していたので、これにエントリーしていた。
 ところが、珍しく風邪を引いた。
 当日は雨も降っていたので、あっさりリタイアすることにした。
 昨年秋に、息子が湘南国際マラソンの情報をくれたので、渡邉さんを含め、三人で走る予定だったのだ。
 3月に向けて、ひたすら我慢である。

湘南国際マラソン(2007年3月18日)江ノ島(1)
 ついに、その日が来た。
 正月以降、足が痛かったり風邪を引いたり、忙しかったりであまり走っていない。
 それを聞いた息子は、「おやじ、フルマラソンを甘く見たな」と、鋭い洞察をする。
 まあ、ここまで来たら、やるしかない。
 当日は最高の天気だった。
 風はあるが温かく、大きな富士山に向かって走る。
 息子は、「とにかく、折り返し地点まではそれなりのペースで行こう。あとは、体をだまして、何としてでも帰ってくる」という。
 それを聞いて、やや悲壮な覚悟になる。
 最後は這ってでもゴールに帰ってくるのだ。

湘南国際マラソン(2007年3月18日)江ノ島(2)

 気持ちが良い。
 息子と渡邉さんが、僕が耐えられるペースを作ってくれるので、こちらはただ走っていればいい。これは気楽だ。
 茅ヶ崎を過ぎ、平塚を過ぎても大丈夫だ。大磯を過ぎて二宮で折り返したが、まだまだ大丈夫である。完走が夢でなくなった。
 再び平塚を過ぎ、茅ヶ崎を過ぎて、あと10kmというあたりから、きつくなった。
 1kmがなかなか減らないのである。おー、なるほど過酷だ。
 頭が少々ぼーっとしてくる。水を頭にぶっかけて、ひたすら走る。
 両親をはじめ、これまでの人生で出会った人たちの顔が次々に浮かんでくる。

湘南国際マラソン(2007年3月18日)江ノ島(3)
 「何くそ、へたってたまるか!」・・・アドレナリンが音を立てて出る。
 最後の3kmあたりでダッシュした。5時間内に入りたい。
 しかし、思うように足は動かない。
 渡邉さんも苦しそうだ。
 5時間2分(ネットで4時間57分)でようやくゴールイン。
 自分の足でゴールラインを越えたときの達成感は、これまでに味わったことがないものだった。
 そのまま、ぐったりと倒れて休憩。
 息子とも合流し、イカの丸焼きを買って家に帰り、久々にみんなでビールを飲んだ。うまい!
 生まれて初めてのフルマラソンの一日だった。
 

また、走る
 さすがに、足腰、ひざにガタが来た。
 痛みは一週間で取れたが、走れない。
 走りを本格的に再開したのは6月下旬だ。
 さあ、また走るぞ。
 次の目標は11月23日の勤労感謝の日。
 僕の誕生日である。
 信じがたいが、還暦である。
 この日に、僕は36年勤めた新宿の都庁舎から平塚まで60kmを走ろうと思っている。
 1km走るたびに1歳年を取りながら走る。
 60年、そのときどきに何を考え、何をして生きてきたのかを反芻する。
 両親やきょうだい、お弟子さん、上司、同僚、部下、友人、家族・・・これまでにお会いした全ての方々をすべて思い出しながら走る。
 楽しかったことも苦しかったことも、無事に行けたときも失敗したことも、すべて思い起こしてみよう。
 幸い、時間はたっぷりあり、ほかにすることはないのだ。
 これが、僕の中間決算になる。

2007年11月23日(広島県鞆の浦) 
 僕は広島県鞆の浦で、「鞆・日本の心」というイベントの真っ最中だった。07年8月4日に、後輩の向本君に連れられて、初めて鞆の浦を訪問し、魅せられた。11月にイベントをやることになり、突然、めまぐるしい生活に変わってしまった。今もそれが続いている。
 11月22日に、鞆の浦でイベント前夜祭をしていると、突然音楽が始まり、ケーキが出て来た。代表で横浜市の前田慶美さんが誕生祝い(還暦!)をくれた。ストップウォッチだった! 走らなければ。

2008年の走り 復活湘南国際マラソンを走る(11月16日)
 ややふがいない。3月に走ろうと思っていた湘南国際マラソンは、水害で使用できなくなり、代わりに荒川市民マラソンを、渡邊伸郎さんと二人で申し込んでいた。ところが、平塚・暮らしと耐震協議会をどうしてもその日に開催せざるを得なくなり、出場を断念。
 さて、今年はどうするか?
 秋には、全国耐震・まちづくりフォーラムをはじめとするイベントが毎週のように入っているが、11月16日は開けてある。この日に、復活湘南国際マラソンがある。走ろう! 

2008.11.15 湘南国際マラソン
 還暦記念(2007.11)に60kmを走ろうと思っていたが果たせず、翌年3月の荒川マラソンも参加できないまま時間が過ぎた。意を決して9月中旬から走りはじめた。2か月あれば何とかなると思ったのだが、甘かった。
 11月15日は雨。20kmを過ぎる頃には足がつった。途中、休み休みし、くたくたになってゴールにたどり着いた。タイムは5時間35分で、初マラソンを大幅に下回ってしまった。人生を甘く見たことを反省。

2008.11.15 湘南国際マラソン (5時間35分)
 還暦記念(2007.11)に60kmを走ろうと思っていたが果たせず、翌年3月の荒川マラソンも参加できないまま時間が過ぎた。意を決して9月中旬から走りはじめた。2か月あれば何とかなると思ったのだが、甘かった。
 11月15日は雨。20kmを過ぎる頃には足がつった。途中、休み休み、歩いて、くたくたになってゴールにたどり着いた。タイムは5時間35分で、初マラソンを大幅に下回った。人生を甘く見たことを反省。

2009.3.15 荒川市民マラソン (4時間46分)
 ふがいなさに腹が立ち、12月から走り始めた。目標は09年3月の荒川市民マラソンで4時間30分。姉のヨガ道場に入門し、週に二回しっかり曲げ、ねじり、伸ばす。からだが少しずつ改善するのを実感する。
 走りに加え、飲酒の有無をホームページに公表し、自分にプレッシャーをかける。
 一月前に太ももの肉離れを起こしたが、何とか治り、当日を迎える。
 良いお天気で、荒川を河口に向かって緩やかに下る。前半は調子がよく、大いに気を良くするが、復路がきつかった。最後はいつもと同じようにヘトヘトになってゴール。しかし、このヘトヘト感と達成感がたまらない。タイムは大幅に改善した。次は、11月の湘南国際。リベンジである。