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 昭和22年(1947年)11月、平塚市に生まれる。
 平塚市立花水小学校、同浜岳中学校に二年まで在籍、新宿区立四谷第一中学校、東京都立戸山高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。

<職歴>
 昭和46年、東京都庁に入庁。以後、職員研修所、企画調整局、経済企画庁、新宿区、企画報道室、生活文化局、主税局、港湾局、総務局学事部、職員研修所調査研究室長(自治体シンクタンクづくり)、新宿西清掃事務所長(早稲田大学周辺商店連合会との環境まちづくり)、東京女性財団事務局長(男女共同参画)、労働経済局産業政策担当部長(都民と創る産業振興ビジョン)、総務局IT推進室長(原始都庁から電子都庁へ)、情報企画担当部長(電子自治体共同運営)、局務担当部長(事務改善)を経て、平成19年3月に退職。

<地域活動など>
 1993年4月に、小学校時代の決闘相手である山口伸にを意見された。「木谷、俺たちはもう少し、地元に関心を持たなければいけないんじゃないか」。
 「お前にだけはそういうことを言われたくない」と思ったが、彼の意見は正鵠を射ていた。以後、おずおずと地元にかかわるようになる。
 1994年9月、石橋克彦氏(神戸大学教授)をお招きして「緊急防災フォーラム〜直下地震を迎え撃つ」を開催。その4か月後に阪神淡路大震災が起きた。
 1999年に、東京方面に通う「土日市民」と地元密着の「全日市民」の交流が生まれ、「すてきなまちをみんなでつくる市民ネットワーク平塚」が設立される。
 2001年7月、自宅から3分のところに宅老所ひなたぼっこが開設され、8月から月に2回ほど唄を唄わせていただくようになる。やがて、唄う場所と回数が増えた。
 2002年10月、市民活動グループが「NPO法人みんなでつくる平塚」を設立
 2003年1月、「市民がつくる福祉」を中央公民館で開催。
 2003年2月、平塚で防災まちづくりの行動が始まる。
 2003年7月、平塚七夕祭で「全国市民活動まつり」開催(銀行跡地)。
 2003年8月、市民団体が連携し、「ひらつか防災まちづくりの会」設立。
 2004年3月、耐震補強モデル事業を市内立野町の深田邸で実施。
 2004年7月、全国市民活動まつり開催(見附駐車場)
 2005年2月、市民グループと事業者が協力して、平塚耐震補強推進協議会設立。
 2005年3月、「緊急防災フォーラム〜耐震補強を進めよう!」開催
 2005年7月、全国市民活動まつり開催(見附駐車場)
 2005年11月、神奈川大学松岡ゼミ、土屋小学校などと「21世紀型寺子屋」実施。
 2005年11月、第二回団塊サミット(揖斐)に出演
 2006年4月、「心の唄〜希望へ」開催(新宿文化センター小ホール)
 2006年7月、全国市民活動まつり開催(見附台広場)
 2006年11月、神奈川大学松岡ゼミ、土屋小学校などと「第二回寺子屋」開催
 2006年12月、「第三回団塊サミット in 丹沢」に出演
 2007年3月、湘南国際マラソンに出場し、フルマラソンを初完走
 2007年5月、「退職記念プレゼン&弾き語り」(牛込・箪笥区民センター)
 2007年5月、NPO法人平塚・暮らしと耐震協議会設立し、副理事長(事務局長)
 2007年7月、第一回全国耐震まちづくりフォーラム開催(平塚七夕まつり)
 2007年8月、「心の唄〜共に生きる」(九段会館)
 2007年10月、第二回全国耐震まちづくりフォーラム(長野県富士見町)

 2007年11月、第三回耐震まちづくりフォーラム〜鞆・日本の心(鞆の浦)

 2008年5月、NPO法人平塚・暮らしと耐震協議会理事長