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 2006年5月、NPOメダカのがっこうの中村陽子さん、根本伸一さんらに誘われ、栃木県茂木で初めて田植えをした。
 6月に田の草取りをし、7月の「地元宝探し」にも参加した。ここで銀座吉水の女将である中川誼美さんに出会った。
 5月にはまた、NPO緑のダム北相模に誘われ、相模湖町で下草刈りをした。
 こうして、僕はこれまでに体験したことがない農や森林保全にかかわるようになった。その後の展開は不思議なものだった。
 ゴアの「不都合な真実」を見て、とんでもない時代に生きていることを改めて感じた。状況は極めて厳しいが、あきらめずに、身の丈で、自分にできることをやることが大事だと思っている。

2006.5 茂木での田植え


NPOメダカのがっこう
 昨年4月のお昼休みに、「メダカのがっこう」の中村陽子さんと根本伸一さんが職場に来られ、塩おにぎりをごちそうになった。とってもおいしくて5個も食べたらしい。聞けば、放置された棚田を再生し、年中水を貯めて耕さない「不耕起栽培」で米をつくっているという。
 おいしいお米の魅力に釣られて、5月に茂木に田植えに行った。大型バスは子どもと大人で満員で、半日、田植えをし、おいしいおにぎりとトン汁を食べた。茂木には短期間に三回お邪魔した。
 僕の主食はいつの間にか無農薬玄米に変わった。

NPO緑のダム北相模
 4年前(2003年)の七夕で、僕たちは全国NPOまつりを開いた。このとき、NPO緑のダム北相模の石村黄仁さん(事務局長)たちが来て、檜丸太の鋸引きなどのイベントをしてくれた。それから、七夕のたびにお会いするようになった。
 昨年5月に、相模湖町での下草刈りに誘われ、初めて参加した。結構急な斜面を登り、下草を刈る重労働である。ところが、ここにも参加者がたくさんいて、皆が心から楽しそうだった。
 やがて、平塚の高麗山という小山の下草刈りをする話が進み出した。

高麗山の下草刈り
 平塚と大磯の境に、湘南平という小山がある。子どものころは、家族でよく登ったものだ。地続きの高麗山には県有林があるが、草ぼうぼうで手入れがされていない。
 月に一度、朝9時に大磯駅前に集まって湘南平に登り、高麗山に渡って下草を刈るようになった。荒れ放題の森林がみるみるうちに明るくなり、埋もれていたベンチが出てくる。僕は、ギターを抱えて、昼食時にいっしょに唄をうたったりした。高麗山は中高年のハイカーが多く、声をかけてくれるのが楽しい。
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 多少の事情があって、今は下草刈りは中断している。いつか再開したい。

銀座吉水の中川誼美さん
 茂木でお会いした中川さんは、銀座で吉水という日本旅館と食堂を経営しておられた。とてもではないが僕が行ける店ではないと思ったら、「そんなことない」と言われる。8月に初めて使わせてもらったら不思議なお店だった。食事は無添加、無農薬で、砂糖も使わない。素材の味がおいしい。
 極めつけは客室で、テレビも冷蔵庫も電話もない。すっかりファンになり、9月にまた、吉水で会合を開いた。すると、中川さんが、「今度、誰も知りあいのいないまちに引っ越すことになった。まるで島流しだ」と言われる。何と、隣町の大磯だった。数奇な物語は、まだ序の口である。

大磯に溜まり場ができた
 中川さんご夫妻の新居は、何と僕たちが毎月登っていた湘南平の登り口にあった。
 9月に困ったことが起きた。僕たちが平塚でたまり場にしていた部屋が、「借り手がついたので出て行ってくれ」と大家さんに言われてしまったのだ。すると、中川さんが、「よかったら大磯の家を使って」と言われる。
 引っ越しが終わった12月に、初めて中川邸をお訪ねした。すると中川さんが、「ちょっと木谷さん、見てよ、これ」と言われる。裏に回って驚いた。

広大な農地があった
 中川邸の裏は、棚田の跡だった。湘南平のふもとまで二千坪はある。ここを畑にできないだろうか?
 2007年1月20日、全国市民活動まつりの新年会を中川邸で開いた。40人が参加し大賑わいとなった。最後にご主人の中川滋さんが戻ってこられ、みんなが拍手した。「自分の家に入って拍手されたのは初めてだ」で大爆笑。
 そうこうするうちに、さらに西に行った場所に田んぼ3枚を貸してくださる方が出てきた。農業関係のNPOも動き始めた。

大磯が市民農業の拠点になる

 大磯は、農と森の拠点になるかもしれない。近くには大磯小学校がある。夏休みには、キャンプができるだろう。知的ハンデを負う方々の進和学園もある。ひなたぼっこのワーカーは、「私もいっていですか」と聞いてくれる。ありがたい。
 老若男女、健常者も障害者も団塊世代も、誰でも気軽に農作業をして、楽しく交流する場になるだろう。みんなが初対面なので、気兼ねがないところがいい。特に、団塊の世代には大きな期待がある。一緒に農作業をやれる方がいたら、ご連絡ください。
 
「不都合な真実」
 2007年3月に「不都合な真実」を見た。映像とデータをふんだんに使ったプレゼンで、ゴアは地球の異変を訴え続けている。米国では環境主義者は嫌われる。ゴアがすごいのは、1993年に副大統領に立つ前に、不利を承知で「地球の掟」を出したことだ。彼は、「副大統領になるために環境をやるのではない。環境問題を解決するために副大統領になりたいのだ」と言っていた。
 久々に見るゴアは成熟していた。どんな状況にあっても、あきらめず、打ちのめされない。「彼の姿は、かつての「ロボ・コップ」ではない。愛する息子が暮らせる世界を残したいと思って突き進む、一人の父親だった」というキャッチに、僕はぐっときている。本当に、僕たちはすさまじい時代に生きてしまっている。
 それにしても、彼が大統領になっていたら歴史はまるで違っていただろう。
鞆の浦「未来農場」
 鞆の浦のまちなみ保存と耐震化に取り組む中で、思いがけない方向に進み出した。朝鮮通信使の「饗応七五三絵巻図」が筑波山麓に住む古くからの知人である合田寅彦さんのお宅で発見されたかと思えば、古民家を改修して宿屋として開業する準備が進んでいる。そうこうするうちに、農園をつくる話が浮上した。鞆中学校のそばに千坪の放棄畑があるという。これを鞆の子どもやお年寄りと一緒に耕して、地産地消のシンボルとする。若い友人たちがワクワクしながら取り組んでいて、時代が動いているのを肌で感じる。
 

銀座吉水と中川誼美さん  (2009.7.10)
「ソロモン流」というテレビ番組で吉水が大きく報道され、次いで、デンマークのエコ旅館のアジア第一号を受賞した。中川さんは、「少し前の日本に戻ろう」と提唱され、無添加・無農薬・無精製の食材を使った食事と共に、テレビがなく冷蔵庫がなく電話もないお部屋でゆっくりお泊まりいただくという旅館を経営しておられる(東京・銀座、京都・円山公園、そして綾部)。「吉水が脚光を浴びるなど考えもしなかった」と中川さんはおっしゃるが、ここまで社会が崩れる中で、ようやく時代が追いついてきたということなのだろう。